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必要とされない事

2008年12月16日 21:43

何でも中途半端はいけないと言う。
そう言う事をしていると行動に出る。

ただ、全てに中途半端はいけない!と頑にいく必要があるかと言えば
そうでは無い気がする。
俺の場合は分かりやすくて自分の中で重要かそうでないかが判断されてしまえば
後は自分の基準で全てが決まる。
周りに流されるとか、長い物に巻かれるとかそう言う事がまずない。
自分さえも放る事があるので危険ですが。
流されて疑問を持ちながら何かをするのは疲れる。
長い物に巻かれてどうでも良い事に気を使って行くのは性に合わない。
人に合わせる事が出来ない。
だって根本的に人に合わせようと思ってないんだから(笑)
半端で良い事、それじゃ駄目な事。
半端な事や人って劇的な物が何も無いんだよ。
人付き合い然り、料理然り、仕事然り。
何かを極めようとしてる人とや物とは段違いの差を感じる。
最近そう言う事を良く感じる。

一つの音で自分を出す人。
一枚の写真が絵葉書にしか出来ない人。
一部分で何処で作られたかを認識させる色。
一つの料理に劇的な幸せを織り込む人。
一つの味に何処でも食べられると言う認識をさせる料理。
たった一人で周りを虜にする人。
たった一つの音で見放される人。

いろんな事がやりたい人って中途半端なんだろうなって。
あれもやりたい、これもしたい、やってみたい事が沢山。
悪く無いと思うし、好奇心は人を向上させると思う。
ただ、それを少なからず実現する為には
かなりの物が片手間になるんじゃないだろうか。
だって一つ一つ極めるなり納得いくまでやろうとしてたら
とてもじゃないけど時間が足りない。
だから半端に終わる。だって次にやりたい事が待ってるんだから。
在る程度の事を知ろうとすれば自ずと出来る事を絞る必要が出てくる。

なんかそう言う事を思うんだよね。

じゃぁ~、何か極めた物があるのかと言われたら在るには在るんだ。
此処じゃ言わんけどね。
でも今でも負ける気はしない。
自分は確実に一番だと言う自負は持ってます。
やりたい事はそれについては全部やり切った。
ただ、それをしちゃったもんだから今は何をしようかと。

次に極めるモノは決まってる。
もうずっと前から決まってる。

もう一個思うのは所謂「天然」って人は須らく「コミュニケーション能力が足りない」
もっと悪く言えば「理解力が足りない」んじゃないかって。
会話と言うのは在る程度の予測の上で成り立つ。
誰もが小さい頃からそう言う訓練をされてる。
話の題材から次にはこう言う事を「言うかもしれない」
それに対する答えは「こうかもしれない」
そうやって推測と推定で会話が成り立つんだが
天然の人ってそう言う事を一切考えてないから、
一つの言葉の繋がりを考えようとしない。
だから返答も明後日の方角を向いている。
でもそれには気付かない。
いつまでたっても会話はなり立たない。進まない。
なので世間では大きな括りで「空気が読めない」と言われる。
その場の状況を考えずに思った事を口に出すから。
その場で言う必要の無い事、言うべきでは無い事を
会話の中での推察能力が無いから言う。
当然、在る程度の推察能力が在る人には言うべきかどうかの判断がついてる。
言わないだけであって、言うべき場面では無い事の是非を把握してる。
それが考えつかないのが「天然」と言われる人種。

天然の人ってなんであぁ~なんだろって思う事があって
割と平気な人も居れば無理だなって思うレベルの人も居て
この差はなんだろう?って思っていた時に友達が言った一言。

「天然て言い方返ればコミュ二ケーション能力の欠如だから」

なるほどっと思った。
だから俺は天然の人が苦手なんだって。
頭の回転が遅いのとは違う。
遅くても「回答」は出るけど、「回答」する為の要素が理解出来てないから
返答がおかしいんだ。

と、言う訳で俺は天然と言う人種が苦手なようだ。



2008年@cosmeベストコスメ大賞発表


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